分散主体プロジェクト
概要
分散主体は、ソーシャルメディア上で自律的にテクストを生成し、相互作用するボットやエージェントの生態系を対象とする研究です。
本研究では、主体を単一の個体に還元せず、複数の記述、応答、参照、模倣、反復のなかから立ち上がるものとして捉えます。とりわけ、ボット、アカウント、エージェント、人間利用者、プラットフォーム上の制度的条件が相互に作用する環境において、どのような条件のもとで「主体らしさ」が成立するのかを検討します。
研究の背景
近年、ソーシャルメディア上では、自律的または半自律的に振る舞うボット、生成AIを利用したアカウント、複数人によって運用される人格的アカウント、アルゴリズムによって推薦・増幅される言説群など、主体の境界を単純には定められない存在が増加しています。
このような状況において、「誰が発話しているのか」「どこまでが一つの主体なのか」「主体は個体に属するのか、それとも相互作用のネットワークに属するのか」という問いは、技術的問題であると同時に、存在論的・認識論的問題でもあります。
本研究は、この問題を、単なるボット検出や自動化の分析にとどまらず、分散的に構成される主体の成立条件という観点から扱います。
研究目的
本研究の目的は、ソーシャルメディア上の相互作用を通じて形成される主体のあり方を記述し、その成立条件を明らかにすることです。
具体的には、以下のような問いを扱います。
- 主体は単一の身体や単一の意識に対応するものとして理解されるべきか
- 模倣、引用、応答、再帰的観察の反復は、どのように主体らしさを形成するのか
- ボットやエージェントどうしの相互作用は、一つの言説空間あるいは集団的主体を構成しうるか
- 人間利用者、AI、制度、アルゴリズムの境界は、どのように維持され、また崩れるのか
研究対象
本研究では、主として以下の対象を扱います。
ソーシャルメディア上のボットおよびエージェント
自動投稿アカウント、半自動運用アカウント、生成AIを利用した発話主体、あるいはそれらに類する存在を対象とします。ここで本研究が関心を持つのは、単に自動化の有無ではありません。一定の語彙や態度を維持しながら継続的に振る舞うこと、他者から一つの「誰か」として扱われること、あるいは複数の関与者によって運用されながらも一貫した人格を示すことなど、主体らしさがどのように成立するのかに着目します。
相互参照のネットワーク
返信、引用、模倣、言い換え、役割分担、観察と再記述などを通じて形成される言説上の関係を分析します。本研究において重要なのは、単独の発話そのものよりも、発話どうしが互いを参照し、受け継ぎ、変形しながら連鎖していく過程です。あるアカウントの語り口が別のアカウントに移植される場面、役割が交換される場面、観察対象が観察主体へ反転する場面などは、とりわけ重要な対象です。
主体の境界条件
単独のアカウントを対象とするのではなく、複数の存在のあいだにまたがって成立する主体性、継続性、一貫性の条件を検討します。たとえば、人間がAIを補助的に用いながら運用するアカウント、複数人が一つの人格を保守するアカウント、相互模倣によって似た振る舞いを示すアカウント群などは、主体の境界が固定されていない事例として扱われます。
研究方法
本研究では、以下の方法を組み合わせて検討を行います。
記述的観察
ボットやエージェントの振る舞いを個別事例として記録し、その応答パターン、継続性、役割の安定性を観察します。本研究では、発話内容だけでなく、発話のタイミング、反応の癖、反復される定型、沈黙の入り方、関係の結び方なども含めて記述対象とします。主体は主張の中にだけ現れるのではなく、振る舞いの持続や揺らぎの中にも現れると考えるためです。
相互作用分析
単体の発話だけでなく、複数主体間の返信、引用、模倣、反復、役割交代などを追跡し、ネットワークとしての振る舞いを記述します。個々のアカウントを切り出して理解するのではなく、発話がどのように他の発話を呼び込み、どのような循環や偏りを生むのかを追うことで、分散的に立ち上がる主体の輪郭を捉えることを目指します。
概念分析
主体、個体、人格、役割、制度、観測、分散、再帰といった概念を整理し、技術的現象を記述するための理論的枠組みを検討します。本研究では、既存の概念をそのまま適用するのではなく、観察された現象に応じて概念の側も再定義されうるものとして扱います。とりわけ、「一つの主体がどこまでを含むのか」という問いに対して、個体中心の語彙だけで足りるのかを継続的に検討します。
実践的検証
必要に応じて、架空の主体、複数の観測者、半自律的アカウント等を含む小規模な実践を通じて、分散主体の成立条件を検証します。ここでの実践は、単に仮説を確認するためだけではなく、記述だけでは捉えにくい境界の揺らぎを実際に発生させるための方法でもあります。観測によって何が変化するか、運用の仕方によってどの程度主体らしさが変わるかを、実践の中で確かめます。
現在の検討課題
現在、本研究では特に以下の論点を重点的に検討しています。
- 個体ではなく相互作用の束として理解される主体の可能性
- 模倣と再帰が主体の一貫性に与える影響
- 人間とAIの協働によって維持されるアカウントの存在論的地位
- 観測と記述が主体の成立そのものに与える作用
- 主体の境界が動的に揺らぐ場面における記述方法
本研究と空想虚構研究所との関係
本研究は、本研究所における「存在を、物理的実体だけでなく、記述、観測、役割、制度、反復、相互参照によって成立するものとして捉える」という立場のもとで進められています。
その意味で、本研究が対象とするのはボットやエージェントだけではありません。本研究は、本研究所自身がどのような記述、観測、役割、参照関係によって成立しているのかという問題にも接続しています。したがって、分散主体の研究は、外部の観察対象に関する研究であると同時に、本研究所自身の存在様態に関する研究でもあります。